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【とまにちコラム】 (1)三星24時間営業


「へぇ、苫小牧出身なの。苫小牧って〈三星・よいとまけ・24時間〉でしょ?(笑)」。その昔、札幌で暮らしていた頃に知り合った友人に言われた言葉である。

古くから苫小牧に住むご先輩、ご同輩の方々に説明は不要だろうが、当時の三星糸井工場店(現在の本店)は「24時間」営業だった。コンビニの24時間営業が普及し始めたばかりの時代に、である。だから市外の人が苫小牧と聞いて真っ先に思い浮かぶものが「パンとお菓子の三星」だったとしても、それほど意外ではなかった。

あの頃は携帯電話なんて誰も持っていなかったし、カラオケボックスも出現こそしていたが、今日ほど一般的ではなかったから、当時の若者にとって、娯楽の一番手は「車」だった。

車に乗ること自体が「遊び」なので、あてもなく無駄な排気ガスを撒き散らす行為に興じていたのだが、そんな時、三星の24時間営業はとてもありがたかった。立派な屋外トイレと、無料サービスのコーヒーには、ずいぶんと世話になったものだ。

また、夜間はひどく無愛想なおじさんが店番をしていたが、それもまた一種の名物キャラとして、「元・若者達」の楽しい思い出話に一役買っている。

私に限らず、多くの苫小牧っ子の思い出には、少なからず三星の存在が含まれていると思う。

この先、今の若い世代の人達が、同じ感覚を共有していけるようにすることが、これからの三星に必要なことなのだと考えている。



【とまにちコラム】 (2)震災で知った菓子の力


間もなく東日本大震災から丸2年を迎えようとしている。
震災の1週間ほど前、全国版のテレビ番組で三星の人気菓子「よいとまけ」が紹介されたため、日本各地からたくさんの注文が殺到していた。そのてんてこ舞いの最中に、あの長く強い揺れがやってきた。

受注したお菓子の送付先には被災地も数多く含まれていた。
発送途中で引き返されてきた荷物の山。それらに貼られた伝票を見て、「この人たちは無事でいるのだろうか・・・」と胸が詰まった。トラックごと被災してしまったのだろうか、行方不明となったまま戻らない荷物もあった。

その後、何人かのお客様と連絡を取ることができた。
予定通り商品の発送を希望される方もいたが、その一方で「家も流され、今はそれどころではないので・・・」とキャンセルを申し出た方もいた。そして、一ヶ月経っても連絡がつかず、やむを得ずキャンセル処理した注文も多数あった。

そんな中、無事に商品を受け取ることができた何人かのお客様から頂戴した言葉が心に沁みた。
食べ物が貴重な時だけに、身を寄せ合う家族や知人が一様に、到着したお菓子を見て沸きあがったそうだ。食べても「よいとまけ」のしっかりとした甘さと腹持ちのよさで元気が出たと。

よいとまけは昭和28年に当時の製紙工場で原料の丸太を人力で積み下ろす、きつい労働をする人々を応援するお菓子として生まれた。
しんどい時ほど、人は甘さに癒される。お菓子が持つ力と役割を、あの震災が教えてくれた。





【とまにちコラム】 (3)入社当時の記憶


私が三星に中途で入社したのは平成17年の5月21日だったので、丁度今日で丸8年が過ぎたことになる。
それまで様々な業種を経験していた私だが、菓子製造会社は三星が初めて。最初は「へぇ」と思うことがたくさんあった。

入社してまず気付いたのが、社内がいつも良い匂いに包まれていることだった。
これまでの経験から、工場=機械油の臭いというイメージを持っていたので、クッキーやカステラが焼ける時の甘い香りが漂う環境に、得をしたような、世間に申し訳ないような、ちょっと不思議な気分。

初めて工場内に入った時は、あのよいとまけのラインが動いていた。
長さが12メートルもあるトンネル状のオーブンをくぐり抜けてくるカステラ生地は、畳と同じくらいの幅があり、ベルトコンベアにのって延々と続く光景は圧巻!まるで布団のようなふかふかのスポンジの上に、横たわってみたくなるのは私だけではないだろう。

そしてその焼き立てのカステラをほおばってみたくなるのも人情。
案内役をしてくれた当時の製造部長に頼んで味見させてもらった。ところが、意外と普通・・・よいとまけはハスカップジャムがかかってこそ、ということか。

従業員の誕生日に、会社からバースデーケーキが贈られるというおもしろい制度もあった。
菓子屋らしくて微笑ましい福利厚生だったが、そこは仕事柄ケーキを飽食している三星の従業員。あまりうれしくないという意見が多く、哀しいかなその後廃止に。





【とまにちコラム】 (4)よいとまけ還暦


三星の看板商品「よいとまけ」が今年、ついに還暦を迎えた。
よいとまけは3代目当主の小林正俊氏が「苫小牧を象徴するお菓子」として考案し、1953年に発売。
苫小牧に自生していたハスカップを使い、製紙工場で力仕事をする人々が発する掛け声「よいとまけ」を商品名とした。

ロール状のカステラの表面にハスカップジャムをかけるという、前代未聞の発想で生まれた商品は、その扱いにくさゆえに発売当初から今日に至るまで苦情が絶えることは無かった。
さらに時代が変われば嗜好も変わる。甘いものが贅沢品だった戦後復興期の美味しさは、飽食の現代においては激甘と評されることもしばしばだ。

それでもなお、60年の歳月をたくましく生き抜いてこられたのは、ふるさとを想う先代の心意気がよいとまけに宿っているからではなかろうか。お菓子に限らず、創造物には作り手の情熱と生みの苦しみが「魂」となって憑依し、それによって人は心を動かされるのだと思う。
文章も然り、どんな名文であろうとも、それが請け売りなら相手の心までは届かないから。

7月から発売60周年を記念したプレゼントキャンペーンを展開している。
当たるのはテレビCM等に登場しているよいとまけを模したアニメキャラの、可愛らしいグッズだ。これなら激甘嫌いの若者にも受けるかも・・・そんな下心を秘めた企画だが、それだって末永くよいとまけを育てていきたいという、我々なりの想いなのだ。

先代、どうかお許しを。





【とまにちコラム】 (5)誕生日ケーキの配達


私が子供の頃はお菓子やパンと言えば三星だった。
学校給食で三星のパンを食べ、自宅の仏壇に供えられた三星の菓子をおやつにして育ってきた。自分の血肉は三星のパンと菓子で作られたようなもの、と言うと気障な台詞だが、苫小牧で生まれ育った同年代の方には共感してもらえるのではないか。

しかし既に給食パン事業から撤退し、同業他社が数多く出店している今日、市民と三星の接点が希薄になりつつあるのが気がかりだ。

三星に入社する以前のこと、中学生時代からの親友が帰省のおりに私の家に泊まりに来ていた。久々の再会に盛り上がって痛飲した私は、ひどい二日酔いで寝込むはめに・・・。

たまたまその日は私の誕生日だったので、一足先に回復した友人はバースデーケーキを求めて、近くのスーパーに入店する三星に出かけた。
しかし、小さなお店にホールケーキの在庫は無く、がっかりしていたところ機転を利かせた店員さんが本社と連絡を取り、自宅への配達を手配してくれた。

そして待つこと数時間、三星の配送係の方がたった1台のケーキをわざわざ個人宅まで届けに来てくれた。
夕方、もそもそと布団から出てきた私を、「誕生日おめでとう」と書かれたケーキが待ち構えていた。

友人の心遣いに対する嬉しさは当然だが、その演出に一役買ってくれた一企業の姿勢に、深い感銘を受けたことを今もはっきりと憶えている。

地元に根ざして発展してきた歴史があるだけに、一時的なブームで全国区のブランドになるよりも、細く長く地域の人々に親しまれる企業でありたい。
あの日の楽しい団欒の記憶は、三星のあるべき姿を示しているように思う。





【とまにちコラム】 (6)書初めコンクール


今年も元気いっぱいの作品がたくさん集まった。
北海道新聞苫小牧支社と三星が共催する「苫小牧市内小学生書初めコンクール」の話だ。

今回で49回目となるこのコンクール。一足先に60回を突破した図画コンクールとともに、初代社長 小林正俊が「子供に楽しんでもらいたい」一心で始めた行事で、当時はなんとバスをチャーターして遊園地や動物園に受賞した子供達を連れて行ったというから驚きだ。

その後、時代と共にライフスタイルや子供の関心事も多様化し、それに伴ってコンクールの形式も変わってきたが、継続しつづけることが使命であると考え、今日に至っている。

ちなみに記念すべき第1回目は何年だったのだろう、と興味が沸いて逆算してみた。するとそれは、奇しくも正俊社長が53歳で急逝した1966年(昭和41年)と重なった。
三星のロゴである三つの丸を、「仕事に惚れ、郷土に惚れ、女房に惚れる」の三惚れマークと称し、故郷(ふるさと)とその人々を心から愛した先代。
親子2代、はたまた3代続けて受賞した家族が現れるほど回を重ねてきたこの行事を、天国からどんな思いで見守っているのだろう。

それにしても上位の作品には毎度のことながら感心させられる。
眺めていると、いい歳をして悪筆が直らない自分が惨めになってくる程だ。
書初めコンクールの作品展は、三星本店2階のハスカップホールにて1月26日(日)まで開催しているので、大人顔負けの秀作を、是非ともご覧あれ。





【とまにちコラム】 (7)内祝い


【何か形に残るものを…とお考えですか?ご入学内祝い。】
皆さん一応はそうお考えです。でもあなたが頂く立場だったらどうでしょうか?棚の上にたくさんホコリをかぶって積み上げて居られませんか?この間の地震で落ちてきて「あら、これ何だったかしら?」そんな形で残っているだけなのではありませんか?

【お菓子はじきに無くなります。】
でも、贈られた先での団らんの席で「よかったねぇ」あなたを祝福する喜びの輪が拡がります。おいしさだからこそできる喜びの増幅です!

【おいしさをお贈り下さい。只今全店ご入学内祝いセール!】

この文章は、私の前任の広報担当 白石幸男さんが昭和57年4月2日付けの新聞に掲載した広告から抜粋したものだ。
文中にある「地震」とはその直前に起こった浦河沖地震のことで、死者こそ出なかったものの大きな災害であった。それを引き合いにして、ユーモアと説得力のある見事な広告に仕上げられた。

入学祝いは北海道独特の風習で、そのお返しに使う品物は昔からお菓子と決まっていた。その市場に瀬戸物などが割り込んできたものだから、このようなキャッチコピーが生まれたのだ。

時は流れ、最近ではカタログギフトが人気を集めている。確かに自分で好きなものを選べるのは合理的で、形として残るうえに、棚の上でホコリをかぶることも無い。ただ、少し味気なく感じるのは私だけだろうか?


ということで・・・
【おいしさだからこそできる喜びの増幅です。おいしさをお贈り下さい!】





【とまにちコラム】 (8)過剰包装


熨斗と包装紙を剥がすと化粧箱が現れ、箱を開けると中身の商品もひとつひとつ個包装されている。
私たちの身の回りにある商品は、じつに多くの包装資材にくるまれていて、それが贈答品として使われる時、その傾向はより顕著になる。

三星のお菓子でもよいとまけやカステラ、羊かんなどの棹物は1本ずつ箱に入っているから、2本入り、3本入りになると箱の中からまた箱が出てくる始末。
お菓子は進物の需要が多いので、他の商品より過剰包装の度合いが強いかもしれない。

家庭から出るゴミの大半を占めるのが、商品の容器類なのだそう。
ゴミの処分も有料化のご時勢、過剰な包装はかえって迷惑だし、エコの観点から見ても褒められるものではない。

実際、通販などで地方に発送する場合は商品を保護するために緩衝材を用いるが、「大量のゴミが出た」とお叱りを受けたことさえある。自家消費用に購入する商品は簡易包装で十分、というのが現代のニーズになりつつあるのではないか。

ところが進物となると形勢は逆転してしまう。それはまるで相手への敬意が、包装の入念さに反映するかのように。時には礼を重んじるあまり、菓子折りを風呂敷で包んだうえ、さらに手提げの紙袋をお求めになる方も。これではいったい何回衣を脱がせば中身が現れるのやら・・・。

ゴミがいっぱい出る贈り物が本当に適切なのか、相手の立場で考えてみれば、答えは見えている。ゴミ分別やリサイクルなどへの認識はずいぶんと浸透したから、あとは簡易包装の贈り物が市民権を得るだけだ。





【とまにちコラム】 (9)キャッチコピー


「日本一食べづらいお菓子。でも食べるとうまい。」
これは2006年4月27日に放送されたローカル番組で三星のよいとまけが紹介された際、苫小牧在住と思われる男性の方がよいとまけについて問われたインタビューにおいて発せられた言葉である。

その放送を社内の休憩室で観ていた私は思わず膝を打った。「そのままキャッチコピーに使えるではないか」と。
決して上品でもお洒落でもない、昔ながらの素朴なお菓子という商品のキャラクターにぴったり馴染むうえインパクトもある。何より自虐的でありつつ開き直った感に、そこはかとない可笑しさが漂うところが良い。

しかし、半世紀以上も続くロングセラーの看板商品だけに、まともに提案しても潰されかねないと判断し、こっそりWEBにだけ展開してみた。そんなに逐一チェックなどしていないだろうと。

間もなく、新規の卸売り業者から引き合いがあったと会議で報告された。
興味を持たれた理由がWEB上で見つけた「日本一食べづらい」という謳い文句だったそうで、この既成事実によってあらゆる広告媒体への展開が“正式”にできるようになった。だが、これがもしネガティブな反響であったなら、大目玉を食らう程度では済まなかったかもしれない。


このキャッチコピーのおかげで、その後数多くのマスメディアに取り上げられてきた。
あの時、絶妙なコメントをしてくれた男性はどこのどなたなのだろう。一度お会いしてお礼を言いたいのだが…心当たりのある方はどうかご一報を!





【とまにちコラム】 (10)クリスマス試食会ケーキ


菓子屋にとって一年で最も熱く、過酷な商戦「クリスマス」があとひと月ほどに迫ってきた。
聖夜の団らんで主役に抜擢されるのはどのお店のケーキか、我々にとって審判の日でもある。

これに先立って三星では、11月23日の勤労感謝の日にクリスマスケーキ試食会というイベントを毎年開催している。資料がないため起源は不明だが、現社長が入社した昭和40年頃には既に始まっていたと聞く。

三星のケーキの味を確かめてもらい、クリスマス本番につながるように、という趣旨でデコレーションケーキ(直径15cm)を100円で販売していたそうだ。ラーメン1杯が120円の時代だから開店前から行列ができ、飛ぶように売れた、と社長は当時を懐かしむ。

美味しさの決め手となるクリームやスポンジなどの原料には一切の妥協をせず、装飾を簡素化して低価格で提供する、というスタイルは今も変わらず。一般的な試食会とは趣の異なる独自の文化を育んできた。

数年前、諸事情で販売を22日に前倒ししたことがあった。すると翌23日に「いつも勤労感謝の日だから」と何人ものお客様がお越しになったのだ。チラシや販売員の声掛けで22日と再三案内していても、23日=三星のクリスマス試食会という観念を覆せなかったのである。
50年以上も続いているこの催(もよお)しが、いかに市民に浸透しているかを実感させられる出来事だった。


さて、今年の試食会はいよいよ今週末。23日と24日の2日間に拡大しているので、是非とも一足早いクリスマスをお楽しみ頂きたい。





【とまにちコラム】 (11)小林多喜二とのゆかり


去る2月20日は小樽が生んだプロレタリア作家 小林多喜二の没後82回目の命日。
じつはその多喜二と三星には深い縁がある。多喜二の伯父 小林慶義は明治31年に小樽で三星を創業。甥の多喜二に店の手伝いをさせるかわりに、進学費用を工面したのだ。

これまで三星は多喜二との関係についてあまり触れてこなかったようだが、それはおそらく多喜二にまつわる政治的背景が要因であろう。

2008年頃、多喜二の代表作「蟹工船」が若者を中心に再評価され、一大ブームとなった。世間の共産党に対するイメージが昔とは変わってきているだけに、多喜二と三星のゆかりを広報する絶好の機会だった。
まずは資料として彼の作品や、関係する記事を読み漁ってみたのだが、多喜二の人となりを知るにつれ不思議な共感を覚え始めた。

今日の三星の礎を築いた初代社長 小林正俊は、常日頃から「損得よりも善悪を考えよ」と社員達に説く誠実な人だった。そんな彼が最も好んだ言葉「一隅を照らす、これすなわち国の宝なり」は、美味しくて値段の安いお菓子を提供してお客様に喜んでもらう、会社本位では無く、社会全体のことを考える、という彼の生き様と一致する。

正俊から見て父親のいとこにあたる多喜二もまた、貧困や差別の無い平等な社会への思いを小説に託し、国家権力に命を奪われた正義の人。血筋だろうか、他人への優しさや志の高さは、二人に通底していると感じたのだ。

その後、多喜二とのゆかりについてはコラムとして毎月のチラシに10回にわたって掲載し、現在もWEBで公開している。





【とまにちコラム】 (12)食品表示法


時折、マスコミをにぎわす食材の誤表記、偽装など食品表示に関する問題。
4月1日から食品表示法が施行され、法律も強化。私たち食品業界を取り巻く環境は厳しさを増す一方だ。

2年前に話題になった牛脂注入加工肉は、霜降り牛と誤認されぬよう、法律上はメニューに「ビーフステーキ(牛脂注入加工肉使用)」と明記しなければならないが、それを見て食べたいと思う人が果たしているのだろうか。

硬くてうまみのない廉価な赤身肉を、霜降り牛のようにジューシーで軟らかい肉に昇華させる技術は、懐に優しい庶民の味方だったはずだが、売り難くなった加工肉を飲食店が扱わなくなれば、手軽に食べられるステーキを失う消費者も、結果的に損をすることになるのではないか。

確かに加工肉を「霜降り黒毛和牛」などと称して高値で売るのは悪徳だが、値段相応であれば「ビーフステーキ」で構わないと私は思う。それでも、加工肉であることが分かるように明記せよ、と言うのであればせめて購買意欲を妨げる名称にならぬよう配慮してほしいものだ。

私たちが作るパンやお菓子で例えると、副原料を配合した生クリームは「乳等を主要原料とする食品」、黒糖は「加工黒糖」と明記しなければならない。しかし、商品名が「加工黒糖パン」ではあんまりだし、説明文の「生クリームをサンド」を「乳等を主要原料とする食品で作ったクリームをサンド」に置き換えたら…。

このように法律があまりにも機械的、事務的で実情に即しておらず、商品を宣伝する立場としては、なんとも歯がゆいばかりだ。





【とまにちコラム】 (13)すーだらガチョーン市


今度の日曜日の8月2日は、古き良き“昭和”をテーマにしたイベント「あっと驚く!すーだらガチョーン市」が三星本店で開催される。
市内で様々なイベントを展開しているとまこまい味な倶楽部との共催により今年で5回目を迎え、すっかり夏の恒例行事として定着してきた。

目玉はなんと言ってもクラシックカー。ケンメリやハコスカの愛称で知られる日産スカイラインやいすゞ117クーペなど、往年の名車がずらり30台ほど集結する。入場料無料なので旧車ファンは必見だ。

懐メロを衣装も名前も本人に成り切って熱唱する昭和メロディー歌合戦も楽しい。
「次の曲は「ひなげしの花」。歌うはアグネス・チャンさんです。どうぞ。」といった具合に司会者も歌手もとことん成り切るから笑ってしまう。

今回のグルメコーナーでの注目は、老舗菓子店の“社食”カレー。
社食とは社員食堂のことで、普段は従業員しか食べることができない特製の和牛カレーを150食限定で販売する。ちなみに老舗菓子店とは、もちろん三星のことである。

他にもシネマポスター、レトロ家電などの展示や月光仮面ショー、紙芝居や米菓“どん(ばくだん)”の実演、昔風ラーメンや三星でかつて人気を博していたパンの復刻販売など、懐かしい昭和の味と香りが満載のイベントになっている。

すーだらガチョーン市は8月2日の10時から15時まで(雨天決行!)。
ぜひ夏休みの一日を、ご家族揃って三星本店の屋内外で楽しんで頂きたい。





【とまにちコラム】 (14)ハスカップ不足


ハスカップが足りない。
主力商品「よいとまけ」などのハスカップ製品に使用する果実を十分に確保できず、昨年から減産を余儀なくされている。

主な原因は昨年と今年で続いた主要産地での不作と、食品大手などの参入による需要の増加だ。
ただ、ハスカップの確保に苦労を強いられるのは今に始まったことではない。

かつてハスカップは勇払原野周辺にかけてたくさん自生していた。
三星はその野生の実を摘み取って菓子の原料に使っていたが、昭和40年代に急速に進んだ巨大な掘り込み港と臨海工業地帯の建設によって群生地の多くは姿を消した。

地元以外ではあまり知られていないハスカップを宣伝してきた努力が報われ、売上が伸びてきた矢先、皮肉にもほとんど手に入らなくなった。
世界中を探してみたもののハスカップとおぼしきものは見つからず、残された手段は栽培だった。

その頃、美唄市の道立林業試験場ではハスカップの栽培試験が進められていた。
三星は試験場に協力を要請し、生き残った自生のハスカップから良い実だけを選んで得た種で5万本の苗木を作り、栽培を委託した農家に肥料と合わせて無償で提供した。

莫大な資金を投じて昭和52年にスタートしたハスカップの栽培は、その後道内各地に急速に普及し、今日まで安定した原料供給をもたらしてくれた。

ところが、冒頭に述べたように昨年から状況が一変し、またしてもハスカップが不足する事態となったのだ。
と、ここにきて紙面も足りなくなったので、この続きはまたの機会に触れたいと思う。





【とまにちコラム】 (15)バレンタインデー


2月14日の「バレンタインデー」はもう間もなく。
元々は恋人や親しい人に贈り物をする欧米の習慣が世界各地に広まったのだが、贈る品がチョコレートに限定され、女性から男性への一方的な贈答であるのは、日本特有だそう。

菓子業界が販売促進のために普及させたとされる日本のバレンタインデーも、当初は欧米に習い男女双方を対象にしていたが、思うように定着しなかったらしい。

そこであるメーカーが「年に一度、女性から男性に愛の告白を!」という戦略を打ち出したところ、ウーマンリブが勃興した1970年代頃から、その時代背景と相まって徐々に定着したようだ。

また、チョコレートなら子供のお小遣いでも買うことができるため、小学校高学年から高校生までの学生層が普及を牽引したとも言われる。

そういえば、私も子供の頃、バレンタインデーの日は机の中が気になったり、下駄箱を開ける時にちょっと緊張したり、なんとなく一日中そわそわしていたものだ。
もっとも、それは学生時代を通して杞憂に終わったが・・・。

その後も義理チョコを筆頭に、友チョコ、逆チョコ、果てには自分チョコと、業界は日本独自の切り口で新たな需要を掘り起こしてきたが、このところ義理チョコが下火なのだとか。

確かに渡す側の女性には大きな負担だし、貰い過ぎるとお返しが大変、まるっきり貰えなければそれはそれで寂しい、と男性側の心理もまた複雑だから、いっそのこと止めましょう、という傾向なのだろうか。

今年の14日は日曜日なので、義理チョコ市場には更なる逆風。
業界に身を置く者としては、なんとも気掛かりだ。





【とまにちコラム】 (16)手書きの広告


三星の広告と聞いて皆さんがまず思い浮かべるのは、手書き文字の新聞広告ではなかろうか。
その始まりは1950年代。当時の活気は半端なものではなく、毎日のようにチラシを入れていた。

活字を拾って印刷するには3日かかるが、その間に内容が変更され、一からやり直しとなることもしばしば。そこで版の上に筆でじかに原稿を書く、という荒業が編み出されたのだ。

その後、二代目の担当者に引き継がれ、丸みをおびた字体で書かれた印象的なコピーの手書き広告が、三星の象徴として定着していった。

2006年、その方も79歳を過ぎていよいよ退職することになり、当時入社二年目だった私が担当を引き継ぐことになった。
しかし、私にあの作風の真似はできないし、会社としても広告スタイルを転換する機会と捉えていたため、手書き広告はここで幕を閉じた。

それ以来、カラー写真を用いた一般的な広告に切り替わったが、駆け出しの担当者にとって半世紀も続いた名物広告の後釜は重荷だった。

廃止を惜しむ世間の声を耳にすると、まるで自分を否定されたように感じてしまい、気持ちが沈んだ。忘れられないのは新聞のコラムで中傷された時。
当方へ取材もせずに独断で書かれた記事は、社名を伏せてはいても読めばすぐに分かる内容で、手書き広告を廃止したことへの痛烈な批判を行間に忍ばせていた。

素人が手探りでやってきたこの仕事も気が付けば10年。「このお菓子はどこにあるの?」とわざわざ持参してくださったチラシを指差すお客様が結構いらっしゃるそうで、それが何よりの励みになっている。





【とまにちコラム】 (17)ハスカップ不足 その2


今年もハスカップの収穫が道内各地で始まった。
ここ2年は供給量不足でハスカップ製品を減産しているだけに、豊作を願わずにはいられない。

ハスカップは開発による自生地の減少を機に各地に移植され、1970年代から栽培されるようになった。
当初は絶対的な供給量不足からキロ3,000円という高値で取り引きされたため、米に代わる転作作物としてもてはやされた。
しかし、急激な生産量の増加が価格の暴落を招くと生産者の栽培熱も冷め、1990年頃をピークに収穫量は減少に転じている。

近年は食品大手のハスカップ製品参入もあって需要が増し、取引価格も上昇しているのだが、生産者がかつての熱気を取り戻すには至っていない。

ハスカップは果皮が薄く破れやすいことが最大の難点だ。収穫は一粒々々手で摘み取るので非常に効率が悪く、貯蔵が利かないから青果として流通するのはほんの僅か。ほとんどは急速冷凍されて加工用などに回る。あとは収穫の手間を省くことができる観光農園で消費されている。

つまりハスカップ栽培は収穫期の人手不足と人件費がネックになって、他の作物よりうまみが無いのだろう。手が回らないためにせっかく生った実を放置して無駄にするケースや、栽培そのものから撤退する生産者が増えているというから事態は深刻だ。

これらの問題を解決するために、ある研究機関では果皮を丈夫にする品種改良や、収穫機械の試験を進めているそう。実用化はまだ当分先のことになるのだろうが、状況打開の起爆剤になると期待している。





【とまにちコラム】 (18)伝統行事


9月は年中行事が目白押しだ。15日は十五夜、19日は敬老の日、同じく19日から22日の中日をはさんで25日までが彼岸、といった具合に。

古くから伝わる行事のほとんどは、和菓子と密接な関係があるので、これから10日ほどは私共にとって大切な商機となる。

十五夜は美しい満月を観賞しつつ、五穀豊穣を祝って芋などの収穫物や月見団子、稲穂に見立てたススキを供える。
十五夜の約一ヶ月後に巡ってくる十三夜もお月見をする習慣があり、どちらか一方しか観ないことを「片月見」と言って、縁起が悪いとされてきた。しかし、最近巷はハロウィン一色で、十三夜など何処吹く風だ。

敬老の日は、各町内会で開かれる敬老会の記念品として、カステラや紅白饅頭などが利用される。近年は市の補助金が削減されたことで各町内会の予算が厳しくなり、以前に比べると注文はぐっと少なくなってしまった。

お彼岸といえば「おはぎ」だが、本来は季節によって呼び名が変わる。春は牡丹の花が咲くから「ぼた餅」、秋は萩の花が咲くから「おはぎ」、更に夏は「夜舟(よふね)」、冬は「北窓(きたまど)」となるが、今は通年「おはぎ」と呼ぶのが一般的になった。

残念なことに、これらの行事での売り上げは年々しぼむ一方で、日本の伝統が廃れつつある感は否めない。社会環境やライフスタイルが、時代と共に様変わりしているのだから、大昔の慣習が馴染まなくなってきたのは当然だろう。

この先、自国の文化を次世代に継承していくためには、現代風にアレンジを加えるなど、発想の転換が必要なのかもしれない。





【とまにちコラム】 (19)ハワイアン


私が子供だった昭和50年代頃、実家にやってくるお客さんが持参するお土産の定番は、三星のケーキ詰め合わせだった。

色とりどりのケーキに混じり、ひときわ異彩を放っているそれは、四角くカットしたスポンジ生地の側面にチョコレートを薄くコーティングし、上面にパインの輪切りをど~んと載せ、その中心に真っ赤なチェリーを鎮座させていた。

その名も「ハワイアン」。時代と共に洋菓子の味とデザインが洗練されていく中で、いつしか姿を消した郷愁を誘うケーキだ。
黒(チョコ)と黄色(パイン)赤(チェリー)の配色は踏み切りや工事現場などに用いられる警戒色なので、とりわけ印象に残る。

私の記憶では、僕はこれ、私はこれ、と家族が思い思いにケーキを選ぶと、いつも最後まで残るのがハワイアンだった。目立ってはいたが、人気は無かったのだ。

それにしてもなぜハワイアンなのか?その名の由来は不明だが、思うに褐色のチョコレートは常夏のビーチで小麦色に焼けた肌をイメージさせ、南国フルーツの代表格であるパインを使い、派手な配色でトロピカルさを演出、そして南国といえばハワイ、ということではなかろうか。

当時を知るお客様にとっても、やはりインパクトが強かったのだろう。「あの懐かしいケーキを復活させて」という声は、少なからず寄せられていた。

それを受けて、一部仕様を変更したものの、1年前から販売を再開している。しかし、人気の方は相変わらずだ。
このコラムを読んで懐かしく思われた方は、早めにお買い求め頂いた方が良いかもしれない。





Product  Information
HaskapSweets ハスカップのお菓子
ParticularSweets こだわりのお菓子
ParticularCake こだわりのケーキ
ChoiceAssortment 特選詰合せ折
HaskapProduct ハスカップ製品
~ 連載 三星コラム ~ 小林 多喜二 三星で過ごした5年間
よいとまけの生みの親 初代社長 小林正俊の肖像




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